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シャネル誕生の序章【ココ・アヴァン・シャネル】レビュー

ココ・アヴァン・シャネルとは?

田舎のナイトクラブからパリへ、そして世界へ──
コネクションも財産も教育もない孤児院育ちの少女が、
世界のシャネルになるまでの物語。

出典:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2775/

 

キャスト:
ガブリエル・シャネル … オドレイ・トトゥ (小林沙苗)
エティエンヌ・バルザン … ブノワ・ポールブールド (後藤哲夫)
ボーイ・カぺル … アレッサンドロ・ニボラ (咲野俊介)
アドリエンヌ … マリー・ジラン (坪井木の実)
エミリエンヌ … エマニュエル・ドゥボス (日野由利加)

スタッフ:
監督 :アンヌ・フォンテーヌ
脚本 :アンヌ・フォンテーヌ
製作 :キャロル・スコッタ
脚本 :カミーユ・フォンテーヌ
衣装 :カトリーヌ・ルテリエ

出典:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2775/

 

以前から気になっていた【ココ・アヴァン・シャネル】をようやく観たのでそのネタバレ感想を書いていきます。

映画タイトルを観ただけで「ファッション」「おしゃれ」な映画だと思ってはいましたが、こういう人生ドラマ映画?は静かなストーリーが多いので…浮き沈みが少ないというか、オチが特になかったりします。

なので、何かを求めて、例えば「恋愛映画で胸キュンしたい」とかそういうのを観た人には向いていません。

 

これは「特に大きな展開もないけれど静かで、少し暗い気分になりたい時の映画」のジャンルだと思います(笑)

私はそういう映画が好きなので、暗さというか、静かさを堪能したい方にはオススメです。

まず【ココ・アヴァン・シャネル】とは、

 

ココ・アヴァン・シャネル』(Coco avant Chanel)は、2009年のフランス映画。エドモンド・シャルル=ルーの同名小説を原作としたココ・シャネルの伝記映画。

典:Wikipedia

 

ちなみに映画のポスターについて興味深いエピソードがありましたのでWikipediaより抜粋します。

 

ポスター回収騒動
フランスで映画のポスターが掲示された際、主人公のシャネルが右手にタバコを持っていたため、ポスターが全面回収される騒動が起きた。史実では、シャネルは愛煙家として知られており映画の中でもそのように描かれているものの、フランスでは1993年以来タバコの広告は禁止されていたからである。

 

問題になってしまったポスターは恐らくこちらだと思います。

 

 

ココがバルザンを追ってパリに行くまで

 

最初のあらすじを読んだ時は、ココがシャネルを成功させていく過程が見れるのだと思っていました。
けれど違います。

 

とある少女の姉妹が孤児院に捨てられる。やがて大きくなった姉妹は洋裁店で働く傍で、酒場で歌い、大きなデビューを目指している。

前半の主な内容はここだと思います。

 

1893年。幼い少女が荷馬車に乗せられ、フランス中部のオーバジーヌ孤児院に連れて来られます。
ココは荷馬車を引いていたタバコを吸う御者を見つめていますが、これは父親だったのか。ただの案内人に過ぎなかったのか。
ずっと見つめていたので父親だったのかもしれません。

 

孤児院は厳粛で真っ黒な服、大きな白い帽子、たくさんの子供達。

ココはここで15年間毎週日曜日の「面会予定日」に、決して来てはくれない父親が迎えに来てくれることをずっと待っていました。

 

15年後のフランス中部ムーランでココは洋裁店でお針子をしながら、夜は姉妹で酒場で歌っていました。
そこで姉の恋人である男爵と、その知人のバルザンに出会います。

 

 

彼はココを気に入り、ココもコネのあるバルザンを「オーディションを受けさせてくれる」と姉に嬉しそうに話します。

彼女達の夢はパリで歌って有名になること。

そのために、現れたバルザンがとても魅力的に見えてしまったのかもしれません。

 

色々なコネでステージを紹介してくれようとしますが、姉はパリの郊外に住み、男爵と結婚すると言ってココから離れてしまいます。
結局一人で歌うことになったココはステージでもうまく行かず、バルザンも従軍していた為、故郷であるパリ郊外に帰ってしまいます。

 

ココは荷物をまとめ、バルザンの屋敷に押しかけます。

 

「姉の家が近くて。尋ねたらいなくて」と言ってバルザンの屋敷で滞在させてもらいます。

 

案内された部屋は綺麗な調度品、真っ白な家具、綺麗なバスタブ。ココには見たことない素敵なものばかりです。

お金持ちの生活を間近に見て、元々夢想していた「富と名声を得る」と言う願望をより強めたように思えます。

 

ココの感じている虚しさと、見ている人のズレ

 

バルザンは客がくるのでココを出て行かせようとしますが「隠れているから」「誰にもわからないようにする」と言うココのお願いを聞いて「2日間だけ」と許可を出します。

その二日間はココにとってどんなものだったのでしょうか。

着飾った紳士淑女達は豪勢な料理を楽しみ、歓談していますが、逆にココは使用人達と混じって食事をします。

 

使用人からは「旦那様の今度の女はみっともない」と言われ、汚れが付いているナプキンを「あなたのだ」と言われます。
夜になると酒に酔ったバルザンが部屋にやって来ます。

 

バルザンが日本の芸者について説明しますが、彼女は芸者を「まるで奴隷のよう」だと言います。けれど、ココ自身も自分がまるで「奴隷のよう」だと感じていたように思います。

 

バルザンに競馬場に連れて行ってもらいますが、彼はボックス席。ココは芝生の方で一人。着飾った人たちの中に、同じく流行の装いをした姉を見つけます。
姉には「召使いにちやほやされている」と真っ赤な嘘をついて自慢をします。男爵と結婚する予定の姉に少しでも見栄を張っているように見えました。

 

この映画は姉妹であろうとも、どの言葉が本気なのか難しく思えました。
ココはボックス席に並んでいる人たちを見て「退屈が並んでいる」と言います。けれどココこそがあの場にいたいと望んでいるように思えました。

 

ココ曰く「姉はまだ男爵と結婚できると思っている」と言います。けれど、ココの妬み心がそう言わせているのではないか、と思いました。
当初は「男爵が結婚してくれるわけない」と言っていて、けれど姉が男爵と結婚するためにパリに行ってしまい焦ったのではないでしょうか。

 

身分違いな男爵と姉が本当に結婚してしまう。そんな夢物語な出来事を、ココは信じたくはなかったのではないでしょうか。
だからこそ頑なに「姉はまだ男爵と結婚できると思っている」と口にしていたように見えました。

 

映像を見ていると、ココは元々プライドがとても高く思えました。

私の個人的な意見としては、働くこともなく、豪華な部屋に滞在し、普段とは違う美味しい食事もできる。それはココがバルザンお気に入りの女だったから。

 

バルザンの屋敷でしている事をココ自身の力でできるかと言ったらできないですよね。
豪華な部屋と食事。召使い。それを使うためにはかなりのお金がいります。
それをココはお金を払う事なく、ただバルザンのお気に入りの女だからその恩恵を受け取る事ができるのです。

 

けれど映画は「男爵と結婚をする(かもしれない)幸せそうな姉と、ただの愛人の自分」「裕福な生活をしているバルザンと、いないものとして扱われている自分」を見せていて、ココの虚しさを引き立てています。

この辺りの「ココの感じている不満」と「見ている視聴者(と言うより筆者である私)の感覚」の違いが、私の目には目立ってしまって、あまりココに感情移入できませんでした。

むしろ私が使用人の立場だったのなら同じように「みっともない」とココの事を悪く言ってしまうかもしれない、とまで思いました。

 

ココはバルザンを「そのうち向こうからすり寄ってくる」と言います。
今は誰にも紹介されず隠されていても、いつかは自分を底から引き上げてくれる。姉には負けず、自分も富を手に出来る、そんなように私には聞こえました。

けれど実際には約束の二日間はすぐに過ぎ、バルザンには引き止められる事もなく「馬車で駅まで行け」と言われてしまいます。

 

馬車で帰ろうとするココですが、新しくバルザンの屋敷にやってきた貴婦人を見て、考えを変えます。
男装をして馬に乗り、バルザン達が外でピクニックをしている所に突入します。
そこで知り合ったのが有名女優であったエミリエンヌでした。

エミリエンヌはココの帽子を気に入り、彼女達の交流はその後も続いていく事になります。

ココが乗馬をした事によって「乗馬のレッスンを受ける」と言う名目を得てバルザンの屋敷に長期滞在する事を許してもらいます。

 

 

女の装いをして、女の馬の乗り方をしていては決して成し得なかった事なので、このシーンは「女性でも男性でもなく、中性としてその場にいたからこその展開」でした。

男性だったらバルザンはそこまで興味を惹かれる事もなく、女性であったら馬の乗り方が違うのでやはり長期滞在は許されなかったでしょう。

女性であるのに男性社会に進んで行くココの行動は服装にもどんどん現れて行きます。

 

服装の変化とボーイとの出会い

 

バルザンはココにドレスをプレゼントしますが、ココは「カーテンみたい」と言ってそれを着ることはなく、シャツを断裁し、縫い付け、自分で納得のいく服を作って着てしまいます。

バルザンの屋敷に正式に滞在するようになって、客に混ざって屋敷で開かれるパーティに参加するようになります。
着飾ったエミリエンヌ達とは逆にシンプルな装いをしているココの対比は見ていて面白かったです。

 

ある朝。ピアノの音を聞いて足を運んだ先で、屋敷に滞在しているボーイと出会います。
彼は哲学の本を勧め、ココを「エレガントな人」と表現します。

ボーイはココを見つめていて、ココも目が彼にいってしまう。
お互いに惹かれているのがよくわかりますが、もちろんバルザンはいい気分ではないのは当然です。

 

ココとバルザンで口論になりココの不満が爆発します。「出ていってもいい」とバルザンに言われ、ココはエミリエンヌの舞台を観に行き、彼女に仕事を紹介してくれと頼みます。

「自活したいから。女優になりたいし」と言うココに、歌手ではなく女優の方にいきなり転換か?と思ってしまいましたが、エミリエンヌも「その年で始めるのは無理よ」と断ります。

 

「帽子屋で働けばいい」と言うエミリエンヌに対して、ココは「そう言うのは嫌」と言います。
なぜ嫌なのか、お針子や帽子屋では駄目なのか私にはよくわかりませんでした。

仕方なくバルザンの屋敷に帰りますが、バルザンは文句も嫌味も言わず「おはよう。食べるか」と朝食を勧めてくれます。
この映画の中で度々バルザンの優しさを感じます。

 

ココに何を言われても激昂することなく落ち着いていて、余裕があります。
普通なら出ていって戻ってきた女に対して嫌味の一つでも言いたくなるのではないでしょうか。

バルザンの屋敷に再び滞在するココはエミリエンヌの衣装を作り、自分の服も作り、どんどん装いが洗練されて行くのがとても印象的でした。
飾りをたくさんつけて金を持っている事を誇示してる女性たちに対して、ココの格好はシンプルで目を惹きます。

 

パーティの夜、突然「帰る」と言い出したボーイをココは引き止め、二人は関係を持ってしまいます。
このボーイ。とても魅力的なのですが、どうにもバルザンと似たような感じで、ココは彼とも結婚はできないのだろうな、と予想がついてしまいました。

 

ダメンズを繰り返し捕まえてしまうダメ女を見ているような感覚だと思います。
バルザンもボーイもダメンズとは違うでしょうが、お金を持っている余裕のある男がお気に入りの女を囲う、という流れは予想できました。

 

予想がつかなかった女性視聴者はダメンズを捕まえてしまう可能性があるので注意した方がいいかも(笑)

バルザンがボーイに「そんなに好きか」と聞きますが、彼の答えが「気に入った
」と言うのも、観ていた私は「あーやはりな」と思いました。

 

ボーイと2日間過ごすことになったココは綺麗なホテルに泊まり、海を眺め、コルセットやベルトを付けず好きな装いでパーティに参加します。
誰の目も気にする事なく自由な装いで楽しむココは生き生きとしていました。

 

ボーイとの2日間の思い出を楽しそうの語るココに対して、バルザンがボーイの意地悪な話をココに聞かせますが、みていた私からすると、バルザンが嫉妬してそんな事を言う様子は面白くもあり、可愛くも思えました。

 

バルザンはココに「ボーイは結婚する」とつい言ってしまいます。
バルザンの屋敷でピアノを弾いていたボーイと再会し、ココはバルザンにプロポーズされた事を明かし、「私は誰の妻にもならない」と宣言します。

 

つい少し前には姉に「結婚したい」とまで言っていましたが、ボーイとはそれが叶わない事を知って、「結婚しない」と気持ちを固めたのでしょうか。
結婚はせずボーイの愛人になる事への決意を固めたように思えました。

ココはバルザンに別れを告げてパリで店を開くことになります。

 

パリでの生活と映画の終わり

 

お店を開いたココの店はたくさんのお針子が働いていて、エミリエンヌや彼女の知人達が利用してくれています。

パリ郊外に住み、男爵と結婚するはずの姉が店で働いていたのですが、結局姉は結婚できたのか。できなかったのか。最後までしっかり語られる事はありませんでしたね。

2階には部屋があって、ボーイが訪れると2人でそこで過ごします。

 

 

ボーイが出かけようとするとココがそれを引き止め、車を発車させようとしているボーイの横に乗り「私も行く」とわがままを言います。
そんなココに「明日には戻ってくる。それから2ヶ月は2人の時間だ」と彼女をなだめます。ボーイは2ヶ月家を借りてそこで2人きりで過ごす事を提案していました。

ココはその「明日」を待ってしましたが、彼は戻る事はありませんでした。

交通事故に遭って帰らぬ人となってしまったから。

 

 

ココは服を作ることに専念しました。いくつもの彼女の服。黒、ピンク、レース、シフォン。その様々な服に身を包んだ女性たちが、階段を降り、たくさんの拍手に包まれながらココを迎えます。

自分の作っていた服を見つめていたココは笑顔を見せる。

ここでテロップが流れ、映画は終わります。

 

60年間のキャリアでココ・シャネルは──
現代女性の服装を決定づけた
多くの著名人が そのスタイルを受け入れた
彼女は男性社会に最初に踏み込んでいき
その名を冠した帝国は今も揺るがない
生涯 結婚はしなかった
1971年1月 ある晩に亡くなるまで──
仕事をし続けた
その日は日曜日
ココが嫌いな日だった

 

映画の感想とまとめ

 

まず、物語に大きく関わってきたバルザンについて。

バルザンはココの事を女として、時には娘のように、時には乗馬を教える弟子のように。
たくさんの愛情を注いでいたように見えました。

 

だからこそバルザンではなくボーイを選んで出て行ってしまったココとの関係も、その後も穏やかに続いていたのではないでしょうか。

ボーイが亡くなった時も現場までココを車で連れて行ってくれます。

バルザンに出会わなければココは友人であるエミリエンヌとも、ボーイとも出会わず、仕事もあれほど成功してはいなかったのではないでしょうか。

 

私はバルザンも、エミリエンヌも、ボーイも。とても魅力に溢れたキャラクターだと思いました。
どの人も余裕があって、富も名声も手にしているからこその優雅さがあります。

 

ココは何も持っていない頃からプライドが高く、己を曲げる事をしません。とても生活している上で生きにくい性格だと思います。

彼女の言葉は一貫性がないこともあり、例えば「ココ」と言う名前について。
彼女の本当の名前はガブリエルです。

 

映画では彼女が歌う「ココの歌」からあだ名がつき、バルザンに「ココ」と呼ばれるようになっていましたが、ボーイには「父親を起こすときにコッコーと鳴き真似をして起こすから」と答えています。

ボーイに「誰の妻にもならない」と言っていた時もなぜ妻になりたくないのかの説明を「母が不幸だったから」と長く語っていますが、その少し前に「結婚したい」と姉に話していたのに違和感を感じました。

 

調べてみると元々この映画のモデルであるココ・シャネルは嘘をよくついていたようです。
自分の出自、父親。それらについて正確に語っていなかったようです。

自分をよく見せたいという気持ちからかもしれませんが、そういう部分を映画でも反映させたのかもしれません。

 

 

この映画は「ココ・シャネルの人生」の映画ではありません。

 

ココ・シャネルの人生の中のワンシーンに過ぎないからです。

私はもっとお店をパリに開いてからの苦労や人気が出て行く過程を見たかったのですが、少し路線が違いましたね。

最後のテロップですが、「帝国」というのはシャネルのブランドについての比喩のようです。
シャネル。多くの人が耳にしたことのあるこのブランドは、確かに今でも揺るぎないですね。

テロップの最後の言葉はとても心に沁みました。

 

1971年1月 ある晩に亡くなるまで──
仕事をし続けた
その日は日曜日
ココが嫌いな日だった

 

日曜日。それは孤児院での「面会予定日」です。
ココが15年間、来ることのない父親を待っていた日ですね。

来なかった迎えがようやく来たのは彼女が亡くなる時、というのもなんだか不思議な心地です。

 

最初にも書いた通り、終始静かな映画です。
雰囲気やその空気を楽しむ映画ですね。

私はこの手の映画がとても好きで、観た後は暫くぼーっとして余韻を楽しみます。

 

大きく「面白かった!」や「悲しかった」ではなく「何だろうこの心地は」と自分の心によく向き合える映画ですね。

 

ココと同じ立場ならどうしていたか、バルザンだったら?ボーイだったら?そんな事を考えているのも楽しいです。

そうして「自分だった場合」について考えていると「自分」というものが見えて来るのもまた一つの楽しみ方だと思います。

 

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